第2回『ひかりのかけら』プロジェクト関島眞頼原作・『下町ガーディアン』総評

【★選評:関島眞頼】「次恒一さん、不二まーゆさん、鷺うゐさん、おめでとうございます。残念ながら受賞を逃したみなさまもお疲れさまでした&有難うございました。多くの快作、力作、問題作を拝読できた事、とても幸福に思います。第2回『ひかりのかけら』プロジェクトのテーマは、“少年マンガ”でした。しかし、最終選考に進んだ応募作品の中で、正調“少年マンガ”はわずか1作。受賞されたお三方の作品も“少年マンガ”ではなく、“もう少し大きなお友達のためのマンガ”です。この点は声を大にして指摘しておきたいと思います。そのような状況になる事は想定の範囲内でしたし、だからこそ原作も“少年向け”と“少し大きなお友達向け”の中間あたりを狙ったのですが……問題は審査基準です。近年、マンガのハイブリッド化、ボーダレス化は急速に進み、もはや“少年マンガ”だの“少女マンガ”だのといったジャンル分け自体が不毛なのかもしれません。しかし、現実に「少年が喜ぶマンガ」と「少年が喜ばないマンガ」は存在します。よって、私個人の審査基準は、「作者が“少年の心”を理解し、“少年の魂”をアツく揺さぶる意欲、情熱、サービス精神、センスとスキルを持っているか」としました。その基準から申し上げると、お三方の作品も及第点ギリギリです。プロ級の完成度でありながら、「“少年の魂”をアツく揺さぶるか」に疑問が残るのです。日香里のマスクのデザインには、正直申し上げて失望しました。『仮面ライダー』における仮面ライダーのデザインと同等の重要度であるにもかかわらず、「“少年の魂”をアツく揺さぶる」ものは応募作品中に皆無。大きな問題点です。背景やタッチを描き込まないために、“白い”作品がほとんどなのも驚きでした。画面の空白部分を情緒表現に活用する“少女マンガ”に対して、“少年マンガ”では原則的に「ウザいほど描き込む」事が重要と言われます。少年は空白を“手抜き”と感じるからです。また、当然ながら“少女マンガ”とはコマ割りやレイアウトの方程式が異なります。アングル、視点、アップとロングの使い分けなども“少年マンガ”の方がダイナミックです。さらに、セリフ芝居時の人物のポーズ、とりわけ腕と指の“力感”にも配慮が必要です。“少年マンガ”では全身を使って感情を表現するため、“少女マンガ”で許される棒立ち芝居はさけた方がよく、手の見えないアップショットやバストショットの連続も退屈なのです。むろん、このような教科書的ルールは、“勝算があるならば”守る必要はありません。ルールを確信犯的に破る事で、斬新な作品世界を構築する事もできるからです。しかし、応募作品の多くはそういった自覚的、挑戦的理由からではなかった点が少々残念です。みなさまのますますのご健勝とご健筆を、心からお祈りいたします。本当にお疲れさまでした!」【★選評:金巻兼一】「次恒一さん、不二まーゆさん、鷺うゐさん、受賞おめでとうございます。今後もサンプラントとともに鋭意バックアップしていきますので、がんばってください。今回は前回にも増して力作ぞろいで、読み込み作業にも力が入りました。課題である“少年漫画”のテイストに関しては関島さんが選定ポイントにしていらっしゃるので、私はあえて作品カテゴライズはせずドラマパートの出来を基準としました。原作の咀嚼に関しては、最終選考対象作は概ねクリアしていたと思います。細かい心情の流れ・描写については人生経験も加味されますので、部分的に「おや?」と思う解釈になってしまっている作品もありましたが、受賞作は勿論オールクリア。ですから、選ばれなかった方々は受賞作を読んで、自分の作品と比べてみてください。受賞されたお三方に共通していた魅力は、大小の事件へ繋ぐ際、自然に且つ楽しく見せる工夫をしていたこと、そしてキャラクターがとても生き生きとしていたこと。特に日香里の心情にあわせた表情変化は素晴らしかったと思います。思わず頁を戻してかわいい日香里を見直してしまう、そんなことが何度もありました。技術力も全体的に文句なし。三作品とも、非常に高レベルに仕上がっていると思います。前回に引き続き、個人的なツボを列記すると……次さんは“保安腕章”と“業平てるてるぼうず”、不二さんは“日香里が無意識に作る科(しな)”と“人型妖魔”、鷺さんは“もくもく食べるチビ日香里”と“※声は聞こえない”です。お三方、おめでとうございます。そして、素敵な作品をありがとう。最後に、今後参加しようと思っている方々、漫画家を目指している方々へ。新人は原石です。磨き始めた原石です。既にその段階で宝石として完成している場合も稀にありますが、ほとんどの場合はまだまだいびつに歪んでいます。その歪みの中でちょっぴり飛び出ている瘤、それこそが実は個性に繋がるヒントであったりします。だから、表面だけを小器用に見よう見まねでサラッと磨いてしまい、小さくこじんまりとまとまってしまうと、僅かに顔を出していたそんな個性の瘤——“ひかりのかけら”をも削り落としてしまうことになりかねません。つまり、いびつ、大いにOKなのです。そして、商業漫画は自分が悦に入るために描くものではありません。読者という第三者が存在します。だから読んだ人の感想に耳を傾けることも大切です。「面白いね」と言ってくれた人はどこを面白いと思ったのか、「つまらないよ」と言った人はどこをつまらないと思ったのか。その所感が多ければ多いほど、統計的に進むべき道がおのずと絞られ、“自分だけの個性”が見えてきます。たくさんの人に読んでもらうことをオススメします。逃げたら負け、腐ったらそこまで。恐れずに“自分”を出して他人に見てもらいましょう。間違えたら直せばいい、ダメだったらひっこめればいい。そして最後に残ったものが、“本当のあなた”なのです。怖がって遠慮したり、手先の技術でごまかしていたら、死ぬまで自分らしさは見つかりません。傷つくのは誰でも嫌なものです。でも、自分の未来のためには、傷つくことも時には必要です。ひかりのかけらを見つけ、磨くのはあなた自身でもあります。がんばってください!」